2011/01/22

さよならJAIPUR!!


 昨日で7週間共に過ごした子どもたちとお別れ。

ある子の夢
HIVのせいで親が死んだなど、何かしらの理由により、
この孤児院(児童養護施設)で暮らすことになった
HIVを抱えた子どもたち。そして、彼らの面倒をみる
スタッフもHIVに感染した女性たち。楽しそうななか
に寂しさが、明るい笑顔のなかに悲しさが時折顔を出し、
それを見るのは辛かった。

僕にできたこと。抱きついてきた子どもたちを強く抱きしめ、
話しを聞いて欲しい彼らの声に耳を傾け、一緒にご飯を食べ、
共に遊ぶ。ほんとうに小さなことだった。

インドならではの事情、そして自身の準備不足と力不足
という大きな原因によってここに来る前・来た後に
考えたことで実現できなかったものはたくさんある。
活動の半ばには、そうなることがはっきりとし、
早めにこの場所を後にすることも考えた。

ただし当初決めていた期間、活動をやり抜いてよかった
と今は思う。出会いや経験、気づきなどを含め、最後まで
良くも悪くも濃い時間だった。

彼らと共に過ごした時間は僕にとっていつまでも大切な
思い出になっていくことだろう。もし同じようにその時間が
彼らにとっても意味あるものになってくれていれば、
それ以上幸せなことはない。
荒野に沈む夕日
彼らはもちろん、このチャンスを与えてくれた
アイセックの人たちに心から感謝。

2011/01/20

白い虎と貧しさ


いくつかの書店で「まずはこの本をを読んだほうがいい。
この国のことがよくわかるから」と勧めらた本がある。

インドで数年前にベストセラーになった小説"WHITE TIGER"

貧しい家庭に生まれ、小学校さえ卒業できずに、チャイ屋や
召使いなどとして生きる道を選ばざる終えなかった主人公が
どうやって実業家に転身したのかが皮肉たっぷりのユーモア
を交えながら語られていく物語。

この本を買い、さっそく駅で読んでいると、
見知らぬインドの青年から声をかけられた。

「気味の悪い物語だと思うだろ?...」

その時は読み始めて数ページ。彼が何を言っているのか
わからなかった。ただし今は、その言葉の意味がわかる。

この本は主人公の貧しい立場からの豊かさへの妬み、
そして貧しいこと自体への蔑みで満ち溢れている。

同じように貧しさから這い上がるサクセスストーリー
『スラムドッグ・ミリオネアー』にあった清々しさは、
この"WHITE TIGER"には微塵もない。

貧しさによって叶えられない欲望が主人公のなかに
いつも渦巻いている。

この小説は、貧しさにということがどんなものかということを
ユーモアを交えながら、教えてくれる。
貧しさは何も食べ物がない、着るものがないといった物理的な
ものだけではない。それは人の心を絶えず蝕み、時には汚れた
手段を取らせさえするもの。

度々、「貧しくても心は豊かな人はいる」という文脈で
貧しさが語られるのを聞いてきた。もちろんその意見に
反対はしないし、たしかにそういう強い心を持つ人々に
僕も出会ってきた。ただし、それは貧しさの恐ろしさを
語ることへの避けるための言い訳、もしくは貧しさの
憎悪の中にいない立場の人間だから吐ける美化された
言葉でもあるんだと思うようになった。

この小説はあくまで、フィクション。どこまで確信を
ついているかわからない。ただ大勢のインドの人々に
評価されたということは少なからず的を得たものなのだろう。

旅という贅沢ができる僕が多くの人にとって貧しさの
憎悪の対象になっているとハッとさせられ、少し怖くなった。

以上

2010/12/27

ガンディーさんならどうしたのかな。


夜道を歩いていると、突然背後からバイクに乗った三人組の
男にラリアットを喰らわされた。後頭部直撃。そしてこちらを
激しく睨みつけたまま彼らは走り去り、闇へと消えていった。

いやいや、そっちが睨みつけてくるタイミングじゃないだろ。
被害者はこっちなんですけで・・・( ゚Д゚)ハァ? 

軽く脳振とうを起こし朦朧とする中で、僕はそう思った。

一瞬、はげしく憎たらしかったが、どうすることもできない。
何より彼らを憎んでも何も生まれない。

尊敬するガンディーさんならどう考えるだろうか。

僕が氏を尊敬するようになったのは、彼の自叙伝の中で
以下の下りを読んで感銘を受けてからのこと。
(記憶が曖昧なので正確ではないかもしれません)

ロンドン大学を出て弁護士となったガンディー。若かりし彼が
南アフリカに渡った当時、そこでは黒人だけでなく有色人種も
差別の対象になっていた。ある日正規のチケットを持ち、列車の
一等車両に乗っていた彼を、新米の警官が下等車両に移そうとした。
しかし彼はその要求を拒み、叩き降ろされる。


後日、そのことを聞きつけた警察署長は差別撤廃運動ですでに
影響力を持ちつつあったガンディーのことを知っていた。そして、
新米警官を処罰することを彼に申し出た。するとガンディーは答えた。


彼一人を処罰して何になるのか、彼は正しいと思うことをしたまで。
この国の社会自体が変わらねば、何一つ問題は解決しない。

この流れ...叩き降ろされるという辱めを受けても、それをした
加害者自身を憎むのではなく、彼をそうさせた社会を変えようとする。
なんという深い見識、それ以上になんて強い魂を持った人間なんだ。
僕はそう思い感動した。

きっとそんなガンディー爺さんなら、ラリアットの男たちを
憎まず、そのような行動に駆り立てたインドの社会のあり方を
問題として見つめるんだと思う。

たぶん日本人なら学校やメディアなどで、外国人のことを少しは
知っている。ただこの国で、学校も行けなかった人、読み書きが
できず新聞を読めない人、テレビを買うお金がない人なんかは
外国人のことなんてほぼも知らないんじゃないか。

そんな異質なものが目の前に急に現れたら、そりゃビビるだろう。

きっと彼らが夜中に僕を襲ったものも、彼らを無知によって
狭い世界観に閉じ込めた社会的原因があるのだと思う。

木に触れ、まず森を見る。

今回は幸いにもインドというガンディーの生まれ故郷で
氏の思想を、自分の経験に当てはめて考える希有な機会を得た。

ラリアットの男たちとの出会いに感謝。以上