2010/09/14

大人のディズニーランド

今回は少し卑猥な街のことを綴ります。

フィリピンを旅立つ前日の9月10日の朝、僕は迷っていました。
アンヘラスで一泊するか、再び戻ったバギオという街で一泊すべきか。

アンヘラスはかつて世界最大の在外米軍基地と言われた
クラーク空港に隣接する街。今では、当時の慰安施設が発展し、
フィリピン随一のゴーゴーバーの街として、一部の男性の間で
有名になっているようです。



アルファベットで「Angeles city」、その魅惑の名前
に惹かれ僕は迷いました。「もしかしたら過ち犯すこと
だってありえる、だけどゴーゴーバーどんな場所か経験してみたい」。

数時間迷ったあげく、語学学校の年上の友人の

「お前には早過ぎる。」

という言葉を無視し、僕はアンヘラスで一泊することを
決断したのです。

着いてみたら予想以上のことだらけ。かなりの田舎なの
にも関わらず、中年のアメリカ人と韓国人男性を主に
外国人男性が大勢街にいました。そして、ゴーゴーバーと
セクシーなフィリピーナの圧倒的な数。すごい光景でした。

夜になり僕はゴ繁華街に繰り出しました。ただそこまで
きても、僕は入るべきかどうか迷ってました。むしろ
アンヘラスの街の醸しだす怪しげな雰囲気に怯えていたのです。
繁華街入口にあるマクドナルドで過ごすこと一時間。
とうとう僕は、意を決してゴーゴーバーに入ることにしました。

まずは店選び、どれも同じように卑猥な感じで、どれも同じに
見えます。違いといえば、外にいる女性の雰囲気。
店によって特色が異なるようでした。ただどの女性たちも、
プロフェッショナル感が漂いすぎていて、ちょと怖い感じ。
店選びから路頭に迷う中で、化粧も薄く服装もカジュアルな4人組の
女の子たちを僕は発見しました。

もうここしかないと覚悟を決め、僕は尋ねました。

僕「どこに勤めているんですか?」

彼女たち「え?」

僕「どこのバーかってことです…」

彼女ら「すみません。私たちは大学生で、ここでブレスレットを
売って、環境保護の活動の資金集めをしてるんです」

予想だにもしない展開に戸惑う僕。アンヘラスのような危ない街で
資金集めをするような立派な大学生たちにまさかどこぞの卑猥なバーで
働いているなどと質問をするなんて・・
その瞬間かなりの気まずさが場を覆い尽くしました。そして、

彼女たち「ところで、あなたは誰ですか?」

混乱した僕は、

僕「明日、クラーク空港を使うから、この街をぶらぶらしてるだけ。
それに僕も大学生さ。~~。」

無駄に自己紹介と言い訳を始める僕。必死でした。
中途半端に会話が盛り上がりはじめ、その場を離れなくなって
しまったのです。そして何故か既に一時間近くも過ごした
あのマクドナルドに彼女たちと行くことに。

「ここで何をしているんだ」

という思いを感じながらも、無邪気な彼女らとの会話を楽しみました。

そしてマクドナルドで再度一時間過ごした後、彼女らはホテルに
帰っていきました。修羅場を潜り抜たその後、数件のバーを
梯子しましたが、すでに疲れ果て眠気に襲われていたために、
セクシーな女性たちとの会話に集中できず、僕はホテルに帰りました。

このようにして大人のディズニーランド”アンヘラス”の夜は
僕にとって苦い思い出となったのです。以上


次回からフィリピンからタイに舞台を移します。

マニラという都市で

マニラ滞在の最終日、僕は日本のとあるNGOとコンタクトを取り、
パヤタスというスラム街を訪れました

皆さんはスカベンジャーという言葉をご存でしょうか。
フィリピンではゴミを集め暮らす人々のことをスカベンジャーと
呼びます。パヤタスという場所には、マニラのケソン市のごみが
長年に渡り積み重ねられ、まさしくごみ山ができあがっています。
その周りには、スカベンジャーをはじめ、貧困層の人々が暮らす
スラム街が広がっています。

光と闇
まず僕が訪れて強く印象に感じたのが、におい。生ごみの腐った
ような腐敗臭が街全体を覆い尽くしています。仮に普通の街中で、
あのにおいに遭遇したら、僕は鼻を摘まみ、すぐにその場を離れて
いたと思います。

また政府機関・海外からのNGOが手を差し伸べているにもかかわらず、
パヤタスに住む人々が増え続けているという事実も驚くものでした。
その原因が、一家庭平均5,6人もの子どもがいるということです。
多くの貧困にあえぐ家庭が多数ある中で、子どもが大勢いるという事実。
当然、学校に行けない子ども増えるし、一人一人が食べる食事の量が
減ることなどは容易に想像できます。

何故、そのようなことが起こるのか?

フィリピン人のスタッフがいうには、家族計画(ファミリープランニング)の
知識不足と、教会によるコンドームの使用なタブー化と中絶の禁止が
原因だそうです。厳格なキリスト教徒が多数を占めるフィリピン。
前回消化したフィリピンの青年はキリスト教の精神があるからこそ、
フィリピンの人々は貧しくとも明るく生活できるといっていましたが。
パヤタスでは逆の方向にその精神が作用しているとしか思えませんでした。
このような宗教に関わるような分野に外国人は手を出しづらく、
フィリピンの人々自身で決めていく問題なのだろうと僕は思ってます。

ただし、そのような問題を抱えるパヤタスで僕がはっとしたのは、
そのような街でも、ちゃんと社会が成り立っているということです。
そこには食事処、商店、洗濯屋、ビリヤード場などもちゃんと存在し、
貧しい人々のための街として、機能していました。どんな状況でも
それぞれに合った人々の営みが行うるということは、僕にとって
新鮮な発見でした。

商業地区のマカティをはじめ東京都心にも劣らないような立派な街
があり、フィリピン大学やアテネオ大学で次の世代を担う優秀な人材を
育てているフィリピンの首都マニラ。
一方でパヤタスのように世界でも有数のスラム街があるマニラ。

一体このマニラという都市が、数年後この地を再び訪れた時に
どのような姿になっているのか楽しみでなりません。

暗い一面が減り、明るい方向に進んでいることを願います。以上

2010/09/13

ルームメイトと『フラット化する世界』

語学学校があるバギオを離れ、日本でも有名な首都マニラに
向かいました。そこで、最初に行ったことは、3年前に一緒の寮で
同じ部屋に住んでいたフィリピンの青年と会うためです。

彼が住んでいるという待ち合わせの場所イーストウッドに着いて、
僕は驚きました。まるでそこはフィリピンの六本木ヒルズ。
高層マンションとセンスの良いショッピンモールが一緒になった
お洒落な街。こんな場所に新卒一年目の彼が住めるということが、
日本にいた当時ただエロかった彼のイメージからは想像できなかったのです。

約束の時間から20分以上経った、フィリピンタイムで彼は現れました。
日本にいた当時と変わらぬ、Tシャツ、ジーンズスタイル。
彼の行きつけのイタリアンレストランに行き、まずは思い出話に花を
咲かせました。彼の口から、当時寮に住んでいた寮生の名前や思い出は、
僕を懐かしさに浸らさせてくれました。

そして次に話題になったのが、新卒の彼が何故イーストウッドのような
洒落た街に場所に住めるのかということでした。

すると彼の勤め先が、外資系の広告会社でその場所にあり給料も
いいとのこと。そして、文芸サークルに所属していた彼はそこで
コピーライターとのして働いているそうです。ただし、彼の会社が
作っている広告はフィリピン人に向けたものではありません。
アメリカの企業が依託したアメリカ人向けの広告だそうです。
例えば、彼の最近終えた仕事はアメリカにある美容院の宣伝の制作だとか。


この話を聞く中で、僕は旅に出る前にHさんに勧められて読んだ
フリードマンの『フラット化する世界』を思い出しました。
「世界のフラット化」とは、かつては地球の物理的には丸さにより
違う方面を向いていた各社会が、インターネットや社会システムの
変化によって、まるで平面上の同じ舞台にたっているのかのように、
社会が動いていくというものです。


彼の仕事などはまさしく、『フラット化する世界』で挙げられていた
主要なキワードであるアウトソーシングの例と重なるものでした。

アメリカやイギリスなどの経済的に豊かな国の企業は、会計・広告
・コールセンターなどの事業をコストの低い国で任せることで、本当に
集中したい事業にお金を投資する。そうすることで、ビジネスを
次のステップに勧めていく。このプロセスが当たり前になってきて
いるということを肌で感じました。

また彼は『フラット化する世界』でも話題になっていた国外へ移住に
ついても語ってくれました。現在、能力がある多くのフィリピン人が
高い給料を求めて、海外に移住していとのこと。そのことは
彼ら自身の幸せはもたらすけれど、結果的にフィリピンの次の社会を
作る才能ある人材を流出することにつながる危険をともなっていると。
しかし、友人も早く海外で働きたいと言っていました。

これら二つの話題はフィリピンだけに当てまはるものではなく、
日本社会のこれからに大きく関係していることだと、僕は強く感じていました。

彼との再会は、僕に色々にいろいろなことを投げかけてくれました。感謝。

そして、最後にエロいとだけ思っていた彼がかなりのキレ者だということが
彼に再びあってみてわかりました。その誤解の原因は、当時の僕英語が
だめだめで、女性の話などの軽い話題が中心になっていたからだと思います。
今回の再会では深く話せ、ちゃんと彼の想いがわかるし、自分の想いが
伝わるようになっていたので、よかったです。以上。

フィリピンで有名な孵化直前のゆで卵”バロット”

3人のフィリピーナ

今回も語学学校について。

前回述べたように、生徒と教師が一対一の授業形式。
二人で同じ時間を毎日毎日共有するわけですから、
何もないわけはがりません。
気が合えば自然と仲が深まります。

僕の場合、3人のフィリピーナとの交流が特に思い出
深いものになりました。今回は少し長くなりますが
そのことについて綴ります。

2010/09/12

フィリピン語学学校

日本を離れ、約2ヶ月が経ち、昨夜、僕はタイのバンコクに着きました。
今までのことを一度振り返ろうと思います。

これまでのほとんどの時間を僕はフィリピンで過ごしました。
その一番の目的は英語の語学学校へ通うためでした。

「フィリピン」×「英語の勉強」

まだ日本ではこの選択肢は馴染みのないものだと思います。
しかし、お隣の韓国では数年前からすでにブームとなっているようです。
すでの多くの韓国人経営の学校があり、多くの韓国の若者がフィリピン
に語学留学を行っているのです。

今回は僕の経験を踏まえ、少しフィリピンの語学留学について
語ってみようと思います。

はじめに、フィリピンへの語学留学の良さについてです。

1.マンツーマンのレッスン
まずフィリピンの語学留学最大のウリが、一対一形式の授業です。
賃金の低い国だからこそ可能な教師と生徒のマンツーマン形式のクラス。
当然複数人によるグループでのクラスと比べ、生徒の発言する機会は
格段に多いです。また教師も一人への指導に集中できるので、
文法や発音のミスも、その都度、丁寧に説明してくれます。

2.フィリピン人の英語
またアメリカ英語をもとにしているものの、音の消失や接続が少ないので
フィリピン人の英語は非ネイティブにはとてもクリアーに聞こえます。
英語の初級者にとっては、先にフィリピン英語で、一つ一つの音を
聞けるように耳慣らしすることは、将来的にハードルの高いアメリカ英語を
聞けるようになるいいステップなのではないかと感じます。

3.授業料と滞在費の安さ
そしてフィリピンの物価はアメリカやオーストラリアなどの英語圏に
比べて格段に安い。そのため、フィリピンへ留学する費用もやすくなります。
一カ月8万ぐらいから、留学することが可能。留学の最大のネックの
お金のハードルも、この国への留学の場合は低いのです。

このような利点があるものの、問題点も少なからずあります。

1.タガリッシュ
タガリッシュとは、文法や語法は正しくても、発音がアメリカ英語とは
異なるフィリピン独特の英語です。第二公用語が英語とは言え、
日常ではタガログや方言をしゃべるフィリピンの人々。経験の
浅い教師やメアメリカの英語に触れることをしてこなかった教師は
どうしてもタガリッシュをしゃべることになります。初めのうちは
何をいっているのかわかりません。

2.教師の質
一対一の形式の授業において、教師の実力はとても重要です。
当然、この形式を実現するには、大量の教師を雇うことになります。
そのため、質の高さを保つが困難になることも。すべの教師が英語
を十分に理解していても、中には教えること上手いとは言えない教師が
含まれることになります。

このようことが、僕が考えるフィリピン語学留学の利点と問題点です。

そして結論になりますが、僕はフィリピンに語学留学して良かった
と思います。留学する前は、簡単な文でさえ口にするのに時間が
かっていましたが、留学終え、だいぶすらすら言えるようになりました。
それに以前は、外国人としゃべるのを避けてばかりいたのですが、
今は楽しく感じるようになりました。それは、会話力を上げるのに
不可欠な絶対量をこの留学でこなせたからだと思います。

このようなことから僕としては、英語、特に会話に苦手意識を
持っていて、外国の人々との会話を楽しめない人には、
フィリピン語学留学をお勧めします。また時間や資金的に厳しい人にも、
レアジョブなどのオンライン英会話などを活用されてみてはどうでしょうか。

世界遺産”バナウェのライステラス”
次回は、語学学校で出会ったフィリピンの人々について語ります。