2010/12/06

毒林檎

自身の信条として人から善意でいただいた食べ物は、
何であっても残さず笑顔でいただくということがはあります。
(インドで流行っている睡眠薬入りのクッキーなどは除く)。
もし食文化が違うからといって、人がおいしいと信じて
与えてくれたものをまずいと言って拒むのは、
失礼だと僕は思うんです。
料理
さておき今回の話に入ります。スリランカはフルーツの宝庫。
僕たちになじみ深いものから、日本ではお目にかかれない
ような奇抜なものまで様々。例えばバナナ一つとってみても、
レッドバナナ、シュガーバナナをはじめ、多くの種類が
あったりもします。

ただ、いくつかのフルーツは全くと言っていいほど口に
合いませんでした。これまで、何でもおいしいと
感じられることが自分の一番の長所だと感じていた
僕にとって、このことは衝撃的でした。
本当においしくなかった。

しかし、ここはスリランカ。仏教の影響もあり、
食べ物をご馳走するのが大好きな人々。
僕が好きかどうかもお構いなし。どんどんと
おしくないフルーツを庭からもいできてくれました。
緑色の渋すぎるグァバ、アリがたかった凸凹の木の実、
そしてリンゴとは全く違うウッドアップル。
逃げられるときは「お腹いっぱい」という口実で
逃げましたが、それが通用しない時は、
「ありがとう」と言って食べました。

そして、ある日のこと。少年が半分に割ったウッドアップルの
片割れをくれました。ただでさえ梅干しのみたいな味がして
美味しくないこのフルーツ。彼がくれた実のまずさは
半端ありませんでした。無邪気そうな笑顔で「どうどう?」と
聞いてくる彼。「おいしいよ。ありがとう。」と答え、
覚悟を決め食べ続けました。

しかし、残った片割れを一口かじった少年は言いました。
「これ腐ってるし!」と。そして、その実を投げ捨てました。
そして彼は、「何できづかないんだよ」みたいなことを言って、
僕の持っていた実も投げ捨てました…
唯々、僕は笑うしかありませんでした。

ただ苦い経験もありますが、食べ物への僕の信条は
間違ってないと思います。スリランカでおしくないフルーツや、
さらには茶色く濁った水を拒まずにいただき続けたことは
滞在先の人々との距離を縮めることになったのは事実。
やはり一緒の食べ物を共に食すということは、
一つの重要な行為なようです。

そして、このスリランカでの経験によって、とりあえず
僕はどこにいっても食べ物には困らないんじゃないか、
そんな自信を覚えました。

この記事を書いている今は毎日おいしいインド料理を
食べ幸せを感じています。

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