2010/09/13

3人のフィリピーナ

今回も語学学校について。

前回述べたように、生徒と教師が一対一の授業形式。
二人で同じ時間を毎日毎日共有するわけですから、
何もないわけはがりません。
気が合えば自然と仲が深まります。

僕の場合、3人のフィリピーナとの交流が特に思い出
深いものになりました。今回は少し長くなりますが
そのことについて綴ります。



まずMという同い年生まれの女の子。僕にとって一人目の
個人授業の先生です。Mは契約社員でその一ヶ月の期間、
担当の教師になりました。緊張しつつむかえた語学学校での初日。

彼女のクラスを受けた後、僕の選択は正しかったと確信しました。

単純に彼女のキャラクターが素敵だったからです。
典型的なフィリピーナで、明るくユーモアが大好き。
自分とは反対とも言える性格に僕は惹かれました。
そして日が立つごとに仲良くなり、自然と学校外でも、
ご飯を食べに行ったり、映画を見たりするようになりました。

すごく楽しい時間を過ごせていました。

ただ一つだけ、僕たちの関係に障害がありました、お金です。

まず外国人向けの語学学校の教師とはいえ彼女の給料は
約1万5千円程度けっして高いとは言えません。
また両親が農家である彼女は若いながらに親への仕送りや、
彼女自身もも大学院にいって教育の修士号をとるという夢が
あり、そのため貯金もしないという状況でした。そのため、
自由に使えるお金はわずか。頻繁に遊びに行くお金などは
ありません。ただ僕の場合は学生としてお金はないにしろ、
彼女を奢るくらいのお金はありました。
なにしろ物価の安いフィリピン、二人でよい食事をしても
500円ぐらいで済みます。しかし、強い自立心を持つ彼女は、
僕から続けて奢られることを拒みました。

彼女の態度から、それ以上、僕が奢るからとデート誘うことが、
彼女の自尊心を傷つけるということが容易に読み取れました。
このような中で、経済状況に大きな違いがあるということが、
いかに二人のフェアな関係を築いていくことへの障害になるのか
ということ学ばざるおえませんでした。

彼女は、「将来お互いがしっかりした仕事を見つけて、
安定した状況になってからまた会おう」と行って僕のもとを去りました。

次は、Jという一歳上の女性。彼女はMが離れた後に、
僕の担当になった先生です。僕がこれまで出会った人々の中で、
五本の指に入る聞き上手。授業中に僕が拙い英語で話しても、
ニコニコしながら話を聞き、すかさず話を発展させる質問を
してきました。

そんな彼女とも一週間目の週末、近くのショッピングモールで
お茶をしました。そこで僕は不思議な経験をしました。
お互いの性格や今まで考えてきたことなどが、
とてもそっくりだということです。それに気づいたのは、
Jが「もしかして~な時、君は~な風に感じるんじゃない?」と
尋ねてきたこと。僕ははっとしました、その通りのことを感じ
ていたんです。なんでわかったのと、聞き返したら、
「君と私は似ているきがしたから」と彼女の答え。
僕も思い当たるふしがあり、ためしに同じような
「~時、こう感じる?」的な質問をしたら、案の定、「そうそう!」と
彼女も驚いた様子。その時、僕は少し感動を覚えました。
フィリピンと日本を背景は違えど、僕と同じような考えを
持つ人がこの世界にはいるんだという事実。
この事実は不思議な喜びと安心感を僕に与えてくれました。
同じような性格を持っている僕と彼女、この先お互いが
どのような人生を歩んでいくのか楽しみです。

そして最後にS。彼女は僕が語学学校を離れる最後の
一週間だけの先生でした。彼女はかなりの天然系で、
本当に25歳なのかと思わせるようなピュアさを持っていました。
趣味を聞いても、雑誌を切り抜いて、自分で物語を作ること
というなんともいえない答えを返してくれました。そんな彼女との
会話は弾み、いつも授業が終わっても、話し込んで
しまいました。特に思い出に残っているのは、

「私の理想の人は、独断的に評価しないでありのままに
受け入れる人」

という彼女の言葉でした。単純に難しいけどすごく素敵な
理想だなと感じました。そんな彼女は最後の授業で
僕がお別れの言葉を言ったら、泣いてしまいました。
僕は一瞬理解ができませんでした。一週間、しかも授業は
一日一時間。そんなわずかな時間の中で出会った人物が
離れるということに、そこまで感情を高めることは僕は
これまでなかったからです。それを可能にしているのは、
ピュアな彼女の誰にでも真っ直ぐに向き合う姿勢なんだと
感心させられました。

以上が、僕の語学学校での先生との思い出です。

とても素敵な出会いに恵まれたことに感謝してます。

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